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2007年8月23日 (木)

アリエノール・ダキテーヌ(1)

 ヘンリ-2世は、お祖父さんのヘンリー1世と同じく有能な君主で、アンジュー帝国とも呼ばれる広大な領地に君臨することになるのだが、これについて、彼の王妃の存在を無視するわけにはいかない。

……まーた、始まったよ、と苦笑された方、申し訳ありません。話の発端、及び当初の目的を忘れたわけではないんです――リチャード3世とウォーリック伯でしたね。どんどん遠くなる……(笑)。でもここはちょっとはずせない。大脱線になることは見えているので、我慢できる方だけ(苦笑)どうぞ。

 その頃パリを中心とした北フランスと、南フランスでは使っている言葉が違っていた。いわゆるオイル語とオック語。oui(yesに当たる言葉)を、北のほうでは「オイル(oil)」と発音したので、オイル語。南フランスでは「オック(oc)」といったのでオック語、なのだそうで、ラングドック(Langue d'oc)という地名はオック語の話されていた地方という意味なんだね。
 ゲルマン語の影響を強く受けたオイル語に対し、オック語の方がラテン語の語形をとどめていて、イタリア語やスペイン語との親近性が濃く、共通文学語としてはオイル語より早く形成された。なんでそんなことがわかるかっていうと、12世紀初期に活躍したトルバドゥール。彼らの出身地は、イタリア北部からカタルーニャ地方までとばらばらだったけど、若干の方言はあったにせよ相互理解の可能な共通語(オック語)を使っていた。すごいでしょ? もっとも13世紀以降はだんだん衰えてしまうんだけどね。(下のは参考地図です。クリックしてみてください)

Map 南フランスの一部アキテーヌに、アリエノール・ダキテーヌ(Alienor d'Aquitaine)という大家のお嬢さんがいました。この名前はオック語の名前で、オイル語では エレアノール・ダキテーヌ(Eleanor d'Aquitaine)というらしいけど、生まれが南フランスだから、ここはアリエノールにしておこう。お嫁に行った先ではエレアノールと呼ばれたかもしれないけど。
 このお嬢さんのお祖父さんがトルバドゥールとして有名なアキテーヌ公ギョーム9世。
 吟遊詩人というと放浪の楽士みたいなイメージがあるけど、そういう貧しっぽい(笑)芸人たちは、ジョングルールといって、主にトルバドゥールの作った歌を各地に伝える役割だった。トルバドゥールは貴族階級の音楽の担い手で、詩人兼作曲家。貴族階級の庇護を受けているのが普通だけど、自分自身が貴族や騎士だったする場合もあった。そのなかでも最古の大物がこのギョーム9世。フランス国王を上回る広大な所領を持った彼は、13世紀に書かれた『トルバドゥール評伝』によれば「世にも雅な人物のひとりで、最大の女蕩しのひとり」(笑)だった。ラテン語以来の男性上位の詩のほかに、貴婦人に屈服し、愛する女性の価値を激賞する新しい発想のシャンソンを作り出したといわれる。つまりアキテーヌは南仏文化の中心で、例の騎士道やら、宮廷愛の発祥の地だったわけ。(宮廷風恋愛や騎士道についてはよろしければ「アーサー王の話(3)」を参照ください。)

 当然アリエノールは洗練された宮廷で、音楽、文学、ラテン語と高度な教育を受けて育った。乗馬や狩りも楽しむ活発なお嬢さんだったらしい。弟がひとりいたが、4才で死んでしまったので、ギョーム10世はアリエノールをアキテーヌ公領の相続人に指名した。
 莫大な財産を持つ若い女相続人の誕生である。近隣諸国の熱い注目を浴びたのはいうまでもない。赤っぽい髪に茶色の瞳、教養高く才気煥発なお姫様だった。絶世の美女とは誰も書いてくれなかったけれど(笑)。
 1137年、どういう感覚なんだか、ギョーム10世はやおら娘二人をボルドーの大司教に預けて、聖地巡礼に出かけ、旅先で急死。後見を頼まれたフランス国王ルイ6世も重病の床にあったが、すぐさま後継ぎのルイ王子をボルドーへ差し向け、二人を結婚させた。ルイ6世も間もなく亡くなり、アリエノールはフランス国王妃となった。
 パリの宮廷に入った彼女は、ベルナール・ド・ヴァンタドゥールなどのアキテーヌで活躍していた芸術家たちを呼び寄せ、北フランスの文明化(笑)に貢献することになった。ルイ7世との間には2人の娘があったが、上の娘がクレティアン・ド・トロワのパトローネとして有名なシャンパーニュ伯夫人マリーである。妹のブロワ伯夫人アエリスのサロンも、文芸サロンの模範とされた。話が先へ飛ぶけど、クレティアン・ド・トロワがマリーの依頼で書いたブルターニュものの種本『ブリュ物語』は、イングランドの宮廷でアリエノールに捧げられたものである。彼女がいなかったら、アーサー王伝説はなかったかもしれない。

 北フランスでのトルバドゥールの後継者たちはトルヴェールと呼ばれたが、安易な充足を否定する愛の概念をうたうのは同じでも、土地柄の違いなのか、ずっとストイックで、トルバドゥールのように、たとえば恋人の肉体の美しさを賛美するなんてことはまずなかった。北フランスと南フランスでは、気候も違うし人の気質も全く違っていたんだね。陽気で開けっぴろげな南部人に対して、生真面目でお堅い北部人。それはそのままアリエノールとルイ7世の性格に当てはまっていたみたい。アリエノールはルイ7世について「王と結婚したと思ったのに、修道士だったわ」と言ったとか。
 とりわけルイ7世という人は、次男だったせいなのかサン・ドニ修道院で育ち、祈りと神への献身を何よりの生き甲斐とする物静かな人だったというから、どうにもならない。兄のフィリップが落馬事故で亡くなって、彼に王位が回ってきたのだが、そうでなかったら本当に聖職者になっていたかも。
 彼は最初、アリエノールの洗練された物腰や品位、教養の高さに夢中になるが、我侭で脳天気な彼女の言動に、だんだん苛立ちを募らせていくのである。
 ついには堪忍袋の緒が切れちゃうんだけど、その事件についてはまた次回――。長い脱線になりそうだ(苦笑)。

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