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2005年12月29日 (木)

十二夜、あるいはエピファニー

『十二夜』といえばシェークスピア。もっともこの『十二夜』はTwelfth Nightなので、12番目の夜、すなわち公現祭(エピファニー)の夜ということになろうか。その晩の余興として書かれたという話である。シェークスピアの戯曲の中で一番好きなのはと問われたら、わたしはこれを挙げる。シリアスな部分とコミカルな部分のバランスがいいのだと思う。森川久美という人が漫画化した『十二夜』も絶品だった。
 
 そして! エピファニーといえば、ガレット・デ・ロワ。クレーム・ダマンド(アーモンドクリーム)を詰めたパイ菓子である。これを1月6日に食べる習慣は、フランソワ1世(1494年~1547年)の時代にはじまったらしい。エピファニーの晩には、毎年王宮で盛大な饗宴が開かれていた。慣例では紋章入りの黒い布をかけたパイ菓子が運ばれるはずだったが、突然王が軽い怪我をしたため、不吉を感じさせる黒い布の代わりに王冠をのせることにした。それ以来、このパイ菓子には紙で作った王冠を飾ることになっている。また、このパイの中には小さなお守り(フェーヴ)が入っていて、切り分けた時にそれが当たった人がその日一日王様になり、誰もが従うという習慣がある。フェーヴというのは空豆という意味で、もともとは空豆やコインを入れていたらしい。今は陶製のものが主流で、キレイなのや可愛いのが作られており、コレクションの対象にもなっているようだ。

Pithiviers わたしはフェーヴも王冠もつけないが、1月最初の日曜日にたいていこのお菓子を焼くことにしている。ところで、フランス菓子の本を見るとそっくりなお菓子に「ピティヴィエ(Pithiviers)」というのがある。
 ピティヴィエというのはフランスのオルレアネ地方の町の名前である。むかし、フランス王シャルル9世(1550生~74没)がこの近くでユグノー派の強盗団に捕えられた。捕虜が王だとわかると、彼らは、あるパテを王に食べさせた。そのパテがおいしかったので、釈放された後、王は彼らに恩赦を与え、ピティヴィエの菓子職人の一人に王家御用達の特権を与えた。そこで、この職人は自分の作るパテにシャルル9世の馬車の車輪を真似た筋をつけたという。確かにピティヴィエには放射状のすじ模様がついている(図参照…手持ちの本より)。

 また、辞書で「Pithiviers」をひくと、パイ菓子より前に「ひばり肉のパイ」と出てくる。これについては、ピティヴィエの地域(シャルトル)の古い伝説が関わっているようだ。いわく、かの国がまだガリアと呼ばれていたころ、フン族の王アッチラが猛烈な勢いで侵入してきた。シャルトルの市民は巨大なウサギのパテを献上して王の機嫌をとった。
 へ? うさぎ? ひばりじゃなくて?
 どこから変わったのか、すでにルイ14世のころにはシャルトルのパテといえば野鳥のパテのことを指していたらしい。野鳥の中でも特にヒバリのパテは、特産地である町の名をとってピティヴィエのパテと呼ばれた。生地で覆ったあと中に何が何が入っているかひと目で分かるように、余ったパイ生地でふたにヒバリの絵をあしらったり、切り分けやすいように中に入ったヒバリと同じ数だけの幾何学模様をつけたりしたのだそうだ。

 うさぎからひばりへ変わったピティヴィエが、いつからかクレーム・ダマンド(アーモンドクリーム)入りのパイ菓子に枝分かれしたのかもしれない。シャルル9世が食べたのがどれだったかも不明だが、フランソワ1世の時期にすでにガレット・デ・ロワが出来ていたのだから、クレーム・ダマンドのパイ菓子であっても不思議はない。結局「パイで包んで焼く」料理は、中身を甘みのあるものに替えれば簡単にお菓子になると気づいた料理人がいたということなのかな。

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